初めて『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』を観たのは中学生の時だったと思う。 同じサッカー部の加藤くんがビデオテープ(VHSの時代)を貸してくれたのではなかったか、確か?
この作品が僕にとっての初ガンダムとなる。
それまで『機動戦士ガンダム』劇場版は日曜ロードショーなどで定期的に放送されており、親父がわざわざビデオ録画してくれていたのに、なぜか観ることを嫌がった。今もなぜそうしたのか、理由は分からない。
そして、なぜ加藤くんから借りたビデオを観たのかも分からない。暇で他にすることがなかったからとりあえず観たくらいだっただろうか。
ただ、この作品をきっかけにここから30年以上、富野作品にどっぷり浸かる。
中学生というタイミングで観たのが良かったのかもしれない。物心がつき、世間というものを理解し始めた、そんな年頃だった。
『逆襲のシャア』は、『機動戦士ガンダム』で主人公であったアムロとライバル・シャアの物語の終着譚である。主人公のアムロは世界の秩序を維持する軍隊のエースパイロットとして登場する。一方のシャアは宇宙に住む人々の不満を背に、遂に自らの軍隊を持ち、反乱を起こす。
一般的な子供向けのロボットアニメであれば、主人公のアムロが正義で、ライバルのシャアが悪になるだろう。しかし、『逆襲のシャア』はそういった構図にはなっていない。
しかし、アムロの所属する地球連邦軍は既に腐敗し、宇宙に住む人々を抑圧している。一方のシャアが統率するネオ・ジオンは宇宙移民者の希望となっているが、強烈な武力行使に踏み切る。
何が善で、何が悪なのか。それが分からなくなる灰色の物語。
この点が僕にとってはカルチャーショックだった。
それまで、戦隊モノや仮面ライダーしか観たことがなかった僕は、善悪に彩られた物語しか触れてこなかった。当然、世の中もそういうものだと認識していた。
しかし、そうではなかった。
世の中はどこまでもグレイであり、腐敗した組織の中でもアムロに正義があるように、シャアにも正義がある。それぞれの正義を信じるがゆえに、争いが起こる。
ガンダムの物語を通して、僕は世界が限りなくグレイであることを知った。
『逆襲のシャア』は、中学生の僕に世の中とはどういうものかを教えてくれる、本当に人生を前に進めてくれた作品だ。
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